天正二十年(一五九二)池田輝政の代官堀尾与左衛門が本殿を造営しています。その棟札に氏子や小笠原(中田) 四 郎右衛門長政が柱を寄進したことが記されています。この四郎右衛門は宮座の一員でした。牛頭天王のうち当社は古 天王社に属し、宮座と呼ばれる村の有力者によって祭礼が行われてきました。

当社には能の奉納記録はありませんが、寛文五年(一六六五)に能面六面が宮座の氏子から寄進されています。このうち怪士面は、東山の楠木正成及び西山の源頼光の人形面に、童子面は伊勢参り面として、最近まで神幸祭に使用されて きました。現在は、これらを含め十四面が豊川市指定文化財として、桜ヶ丘ミュージアムに委託保存されています。