綱火は、拝殿から鳥居まで張られた麻綱に、長さ十五センチほどの火力の強い噴出煙火を走らせる御神事で、「豊川進雄神社の奉納綱火」として、昭和四十三年愛知県指定無形民俗文化 財に指定されました。種目には、綱払い・遣り・行別れ・逆追い・ おいつな 車火・行戻り・追綱などがありますが、呼称のとおり拝殿まで行 くもの、また戻ってくるもの、途中で二つに別れるもの、回転する ものなど様々で、圧巻は六十五発が連続して拝殿に向かう追綱です。この妙技は、東西本会所によって競われます。 豊川進雄神社の花火の起こりについて、斉藤家所蔵の古文書 には「寛文元年(一六六一)六月始まり中、花火其の他つるし提灯 仕り、車と山へ縄を張り縄火大分の事也、大からくりもあり」と はじまり 記録され、また、西本会所所蔵文書には「花火初之年、万治三年 これあり (一六六〇)六月十九日古より有之候所、中頃中絶仕候を親中 これをとりたて 田四郎右衛門取立之申候也」と記されています。 宮座の一員である四郎右衛門義直は、二十一歳の時に花火を 始めましたが、費用もかさみ運営がままならないため、若い者に呼びかけ権現堂わき(現東部中学校敷地内) にあった荒地を 開墾し、花火畑(花火の費用を補助する収入を得るための畑)を つくりました。一方では、若い者に花火の製法を教え、若い者を 東西二つに分けて花火を競わせました。これが現在の煙火の起 源となっています。 この花火畑は歴代領主より天王除地として 免除され、祭礼の費用にされてきました。
古文書の記録に残る煙火の名称は、「綱火」「からくり」「花火」 ですが、近年各所で盛んになってきた大筒や手筒は、この花火と して一括記録されています。